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ルーテル世界連盟とバチカンが宗教改革500周年を前に歴史的文書を公表
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ルター研究所
所長 鈴木  浩
暫定的私訳(その1)

fromCtoC ルーテル世界連盟とバチカンは、宗教改革500周年を前に、足かけ5年をかけてまとめられた「対決から交わりへ」(From Conflict to Communion)と題された歴史的文書を6月17日に発表した。この文書には、「ルーテル教会とカトリック教会が2017年に共同で行う宗教改革記念」(Lutheran-Catholic Common Commemoration of the Reformation in 2017)という副題が付けられており、「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会の報告書」(Report of the Lutheran-Roman Catholic Commission on Unity)という形を取っている。この委員会のルーテル側の委員として長く貢献されてきた徳善義和ルター研究所前所長の後任として、この文書をまとめる作業に一部だけだが関与した者として、取り急ぎ報告をしたい。なお、この委員会には、バチカンとルーテル世界連盟からそれぞれ10人の委員が派遣されており、双方から共同議長、共同秘書が出ている。
 カトリック側の共同議長代理でフルダの補佐司教カールハインツ・ディーツと、ルーテル側の共同議長でヘルシンキの引退監督エーロ・フオヴィネンによる「まえがき」には次のようにある。

 

まえがき

 正面から神と向かい合ったマルティン・ルターの苦闘は、彼の全生涯を突き動かし、それを規定した。「どうしたら私は恵み深い神を見いだすことができるのか」という問いは、ルターを常に悩ましていた。ルターはイエス・キリストの福音の中に、恵み深い神を発見した。「真の神学と神認識は、十字架につけられたキリストにある」(『ハイデルベルク討論』)。
 2017年、カトリック教会とルーテル教会は、イエス・キリストの福音を中心に据えることによって、500年前に起こっていた出来事を最もふさわしい形で振り返ることになるであろう。神は人間のためにご自身を献げられ、われわれを神と神の教会との交わりへと招いておられることを世界が信じることができるように、福音は祝われ、この時代の人々に伝えられなければならない。ここにこそ、われわれの共通の信仰をわれわれが共に喜ぶための根拠がある。
 この喜びには、歴史の中だけでなく、今この時にも、自らを批判的に鋭く見つめる責務も含まれている。確かに、われわれキリスト者は、福音に常に忠実だったわけではない。われわれは、われわれを取り巻く世界の思想や行動様式に迎合することがあまりにも多かったし、神の憐れみを告げる良き知らせを繰り返し阻んできた。
 個々人としても、信仰者の共同体としても、われわれすべては、聖霊に励まされ、導かれつつ、常に悔い改めと改革とを必要としている。「われわれの主であり、師であるイエス・キリストが、『悔い改めよ』と言われたとき、主は信じる者の全生涯が悔い改めの生涯であることを望みたもうたのである」。1517年に書かれ、宗教改革運動の発端となったルターの『九五箇条の提題』の冒頭には、そのように書かれている。
 この命題は今日ではほとんど自明なものとなっているが、われわれ、ルター派のキリスト者もカトリックのキリスト者も、相手ではなく、まずもって自らに批判的な眼差しを向けることによって、この命題を真剣に受け取りたいと願っている。われわれは、われわれを導く規範として義認論を取り上げる。義認論は、福音の使信を表現しているので、「われわれの教会の教えと実践の一切をキリストに方向付けるのに常に役立っている」(『義認の教理に関する共同宣言』)。
 教会の真の一致は、イエス・キリストの福音の真理における一致としてしか存在し得ない。この真理を求めた16世紀の苦闘が西方キリスト教世界の一致の喪失に繋がったという事実は、教会史の暗い断面である。2017年には、われわれは教会の一致を破壊した責任をキリストの前に負っていることを公然と告白しなければならない。この記念すべき年は、われわれに二つの課題を差し向けている。過去の記憶を浄め、癒すことと、イエス・キリストの福音の真理に合致したキリスト教の一致を回復することである(エフェソ4:4-6)。
 以下に掲げた本文は、「対決から交わり」へと至る道筋を明らかにしている。それは、われわれがまだゴールに到達していない道である。しかし、「一致に関するルーテル=ローマ・カトリック委員会」は、「われわれを結び付けているものは、われわれを分離するものよりも大きい」というヨハネス23世教皇の言葉を真剣に受けとめてきた。
 われわれは、われわれの委員会の報告書を開かれた心で、また批判的に研究してくれるようにと、またすべてのキリスト者のいっそう深い交わりへと進む道をわれわれと一緒に歩んでくれるようにと、すべてのキリスト者に呼び掛ける。

カールハインツ・ディーツ             エーロ・フオヴィネン
フルダ補佐司教                  ヘルシンキ引退監督
(カトリック側の共同議長に代わって)       ルーテル側の共同議長

 

対決から交わりへ

  1.2017年、ルーテル教会とカトリック教会は、宗教改革が始まってから500周年の年を共同で記念する。ルーテル教会とカトリック教会は今日、相互の理解・協力・敬意の幅が広がったことを喜んでいる。両教会は、とりわけ、三位一体の神とイエス・キリストにおける啓示に対する共通の信仰、加えて義認論の基本的諸命題を認めることで、相互を分離する要素よりも結び付ける要素が多いことを認識するようになった。

  2.すでに1980年の「アウグスブルク信仰告白」450周年記念は、われわれのキリスト教信仰の生きた中心としてのイエス・キリストを指し示すことによって、信仰の基本的諸条項に対する共通の理解を促進する機会となった。1983年のマルティン・ルター生誕500周年記念の際には、ローマ・カトリック教会とルーテル教会は、ルターの中心的関心事を共に容認・支持した。委員会の報告書は、ルターを「イエス・キリストの証人」と呼び、「プロテスタントであれカトリックであれ、キリスト者は、この人物の人となりと使信とを無視することはできない」と宣言した。

  3.来たるべき2017年は、カトリック教会とルーテル教会が、マルティン・ルターという人物とその思想とが中心にあったヴィッテンベルクでの宗教改革の争点とその帰結とを対話の中で論じ合い、今この時に宗教改革を想起し、それを意味あるものとして受け継ぐための視点を切り開くよう、強く促している。ルターが教会改革のために掲げた課題は、今日のカトリック教会にもルーテル教会にも、霊的で神学的な重要課題を提示している。

 

第1章
エキュメニカルでグローバルな時代に宗教改革を記念する

 

  4.どのような記念であれ、そこには固有の背景がある。今日、その背景には、機会と義務とを与える3つの主要課題が含まれている。(1)それは、エキュメニカルな時代に行われる最初の記念である。だから、共同の記念はカトリック教会の信徒とルーテル教会の信徒の交わりを深める機会である。(2)それは、グローバルな時代の最初の記念である。だから、共同の記念には、東西南北からのキリスト信徒の経験と視点とが組み込まれていなければならない。(3)それは、新たな宗教運動の拡散と同時に、数多くの場所での世俗化の拡大が特徴となっている時代に、新しい福音宣教の必要性と取り組まねばならない。だから、共同の記念には、信仰の共通の証しとなる機会と義務とが伴っている。

これまでの記念行事の特徴

  5.比較的早くから、1517年10月31日は、16世紀のプロテスタント宗教改革の象徴となった。今日でも、数多くのルーテル教会は、「宗教改革」と呼ばれる出来事を毎年10月31日に記念している。100年ごとの宗教改革記念は、豪華で祝祭的であった。こうした出来事では、別な教派の対立的視点がとりわけ目についた。ルーテル教会にとっては、こうした祝祭日や100年ごとの記念日は、自らの独自な存在を弁明するために、ルーテル教会固有の「福音主義的」形態が始まった出来事を繰り返し語る機会であった。このことは、当然のようにローマ・カトリック教会の批判と結び付いていた。他方、カトリック教会は、こうした祝祭の機会を捉えて、真の教会からの是認し得ない離脱であり、キリストの福音の拒否であるとルーテル教会を非難する機会とした。

  6.政治的かつ教会政治的な課題が、こうした早期の100年毎の記念を頻繁に形づくっていた。例えば、1617年の100周年記念は、ルター派と改革派の共同記念行事に際して、両派に共通の宗教改革的アイデンティティーを確固としたものとし、再活性化するのに役立った。ルター派と改革派は、ローマ・カトリック教会に対する強力な反論を通じて両教会の連帯を明確に示した。両派は共に、ローマの軛からの解放者としてルターを記念した。ずっと後のことであるが、第一次世界大戦のただ中の1917年、ルターはドイツの国民的英雄とされた。

最初のエキュメニカルな記念

  7.2017年、それは、エキュメニカルな時代に行われる最初の100年ごとの記念の年である。それは、ルーテル教会とローマ・カトリック教会の対話の50周年の年でもある。エキュメニズム運動の一環として、共に祈り、共に礼拝し、共に教会に仕えることは、カトリック教会とルーテル教会とを豊かにしてきた。両教会はまた、政治的・社会的・経済的課題に共同で向き合ってきた。両教会の信徒の間の結婚に見られる霊性は、新たな洞察と問いとをもたらした。ルーテル教会とカトリック教会は、両教会が相互に与えてきた影響を認め、双方の神学的伝統と慣行とを再解釈することができるようになった。だから、両教会は2017年を共に記念することを切望している。

  8.こうした変化は新たな取り組みを要求している。ルター派とカトリックの視点を別個に示したり、しばしばあったことだが、相互に対立させて示したりする宗教改革期のかつての説明を繰り返すことだけでは、もはや十分でない。歴史上の想起は、膨大な歴史上の出来事から主要な要素を抽出し、集められた諸要素を意味のある全体像に組み込んでいく。過去のこうした説明は、総じて対立的だったので、教派間の対立を強化する場合が少なくなかったし、時には公然とした敵意へと繋がった。

  9.歴史上の出来事の想起は、信仰告白と教会相互の関係にとって重要な帰結を持っていた。この理由から、ルター派宗教改革を共同でエキュメニカルな視点から想起することは、それだけ重要であると同時に、それだけ困難でもある。今日でも、多くのカトリック信徒は、「宗教改革」という言葉を何よりもまず教会分裂と結び付けているし、他方、多くのルーテル教会信徒は「宗教改革」という言葉を主として福音の再発見、信仰の確かさ、自由と結び付けている。こうした二つの視点を相互に関連させ、それを対話に引き込むためには、二つの出発点をそれぞれ真剣に受けとめる必要があるであろう。

グローバルで世俗的な新たな背景の中での記念

 10.20世紀にキリスト教は一段とグローバル化した。今日では、世界中に様々な教派のキリスト者が存在している。南半球のキリスト者の数が増加している一方で、北半球のキリスト者の数は縮小している。南の諸教会は、世界に広がったキリスト教の内部でますます大きな重要性を担い続けている。こうした諸教会は、様々な世界規模の交わりを通じてヨーロッパと北米の諸教会と結び付き、そうした教会と共通の教理的基盤を共有しているとしても、16世紀の教派間対決を安易に自分たちの間の対決であるとは見ていない。2017年との関連では、こうした諸教会の貢献、問い、視点を真剣に受けとめることが非常に重要になるであろう。

 11.何世紀にもわたってキリスト教がすでに根付いた国々では、最近になって多くの人が教会を離れたり、自分たちの教会の伝統を忘れたりするようになった。こうした伝統の中で、諸教会は世代から世代へと、そうした諸教会が聖書との出会いから受け取ってきたもの……神理解、人間理解、イエス・キリストにおける神の啓示に応えてきた世界に対する理解、神との生涯にわたるキリスト者の関わりから世代を超えて育てられてきた知恵、典礼様式の宝、讃美歌や祈り、教会教育の実践、奉仕の業……を受け継いできた。こうしたことが忘れられた結果として、過去に教会を分裂させてきた事柄が、今日では実質的に忘れ去られている。

 12.しかし、エキュメニズムは、伝統が忘れられてしまったという事態に基礎を置くことはできない。しかし、それならどのようにして、2017年に宗教改革の歴史が想起されることになるというのだろうか。二つの教会が16世紀にそれをめぐって戦った事態の何が、保たれる価値があるというのだろうか。われわれの信仰の父や母は、そのために戦うべき価値を持つ何ごとかがあり、神との生活に必要な何ごとかがある、と確信していた。回顧的関心の対象だけに留まるのではなく、むしろ生き生きとしたキリスト教体験を支えるために、しばしば忘れられがちになる伝統は、どのようにして今日の人々に受け継がれ得るのだろうか。伝統は、異なる教派のキリスト者の間に新たな溝を掘らないような仕方で、どうしたら受け継がれていくことができるのだろうか。

2017年の記念行事に対する新たな課題

 13.何世紀にもわたって、教会と文化とは、考えうる最も密接な形で相互に編み合わされてくることが多かった。教会の営みに属す事柄の多くは、何世紀もの間にそうした国々の中でしかるべき地位を占めてきたし、時には教会とは無関係の場合さえあっても、今日に至るまでそうした国々の中で、それなりの役割を果たしている。2017年のための準備は、文化の中になお存在している伝統のこうした様々な要素を特定し、解釈し、こうした様々な側面に照らして、教会と文化の間の対話を主導する必要がある。

 14.100年以上にもわたって、ペンテコステ派などのカリスマ運動は、地球上に非常に大きな広がりを見せてきた。こうした強力な運動は、かつての教派間の論争の多くを時代遅れなものと思わせる新たな強調点を前面に押し出し、教派横断的に新たな共通項や共同体を創り上げてきた。その結果、この運動は、新たなエキュメニカルな機会を切り開き、同時に、2017年に宗教改革を記念する際に重要な役割を果たすであろう追加的課題を生み出した。

 15.これまでの宗教改革記念行事は、教派的に均質な国々で、そうでなくとも人口の大多数がキリスト者である国々で行われきたが、今日ではキリスト者は世界中で数多くの宗教が併存する環境で生活している。この多元性は、エキュメニズムに新たな課題を提示し、エキュメニズムを皮相なものにするのではなく、むしろ逆に、なおのこと緊急な課題にしている。教派間の敵意は、キリスト教の信頼性を損なうからである。キリスト者が自分たちの間の相違に対処するその態度は、他宗教の人々に、キリスト者の信仰について重要な何ごとかを示すことができる。キリスト教内部の対立をどのように扱うかという問題は、宗教改革の開始を想起する機会には特に重大なので、変化した状況のこうした諸側面は、2017年について考える際に特別な関心を寄せる価値がある。

以上は、全体のほぼ15パーセントにあたる第1章までの暫定的私訳である。

 

「対決から交わりへ」
暫定的私訳(その2)

第2章
マルティン・ルターと宗教改革を見る新たな視点

 16.過去の出来事は変えることはできないが、過去のことで記憶されていることと、それがどのように想起されるのかは、時間の経過と共に確かに変わることがありうる。想起は過去を現在化する。過去それ自体は不可変であるが、現在化された過去は、変えることができる。2017年を考えてみると、それぞれ違った歴史を語ることではなく、歴史を違った仕方で語ることである。

 17.ルーテル教会とカトリック教会には、新しい仕方でそれぞれの歴史を語り直すいくつもの理由がある。両教会は、家族関係によって、それぞれの教会を越えたもっと大きな世界宣教への奉仕によって、各地での専制支配に対する共同の抵抗活動によって、いっそう身近になってきた。こうした深められた接触は、お互いに対する認知に変化をもたらし、エキュメニカルな対話と更なる研究に対する新たな緊急性をもたらした。エキュメニズム運動は、宗教改革に対する諸教会の志向傾向を変えた。エキュメニカルな神学者たちは、対話の相手を犠牲にして自分の教派的自己主張を追求するのではなく、相違の内部で、更には対立の内部においても、共通のものを探し求め、そうすることで教会を分離させている相違の克服へと前進しようと決意してきた。

中世研究がもたらした貢献

 18.中世研究は、様々な手段で過去に対する認識を変えることに多大の貢献をしてきた。宗教改革の場合、こうした手段の中には、プロテスタントとカトリックの教会史の叙述の仕方が含まれている。プロテスタントとカトリックの教会史は、厳格な方法論的指針と自らの視点や前提に対する考察を通じて、それまでの教派的歴史記述を訂正することができるようになった。そのことは、カトリックの側ではルターと宗教改革に関する新たな研究にとりわけ該当するし、プロテスタントの側では、中世神学の全体像の変更と、中世後期に対するもっと幅が広くもっと多面的な取り扱いにそのことが該当する。宗教改革期に関する最近の記述では、数多くの非神学的要素……政治的・経済的・社会的・文化的要素……に新たな関心が寄せられている。「教派化」というモデルは、この時期のかつての歴史記述に重要な変更をもたらした。

 19.中世後期は、プロテスタント主義者がそう描写することが多かった完全な闇の時代とはもはや見られなくなったし、かつてのカトリック側の描写のように全面的な光の時代とはもはや見られていない。この時代は、今日では大きな対立の時代……外面的な敬虔さともっと深い内面性の対立、do ut des(あなたが与えることができるように、わたしが与える)という意味での業志向の神学と、神の恵みへの全面的依存という信念の間の対立、職務上の義務も含め、宗教的義務に対する無関心と、いくつかの修道会に見られるように、真剣な改革との間の対立の時代として見えてくる。

 20.教会は、一枚岩の実体……多様な神学、ライフスタイル、教会観を包摂したコルプス・クリスティアーヌム(キリスト教一体世界)……などではなかった。歴史家たちは、15世紀は教会の中でとりわけ敬虔な時代であったと指摘する。この時代の間に、優れた教育を受けた一般信徒階層の数が増え、キリスト教的生活を送る上で手助けになる優れた説教や神学を聞くことに熱意を持っていた。

20世紀のカトリックのルター研究

 21.20世紀のカトリックのルター研究は、19世紀の後半に起こった宗教改革に対するカトリック側の関心の上に築かれた。こうした神学者たちは、プロテスタントが主流のドイツ帝国の中で、一方的で半ローマ的なプロテスタントの歴史研究から自らを解き放とうとしたカトリック住民の努力の跡を受け継いでいた。カトリック側の研究にとって突破口となったのは、ルターは自らの中で完全にはカトリック的とは言えない一つのカトリック主義を克服したという命題であった。この観点によれば、中世後期の教会の営みと教えとは、総じて宗教改革の否定的引き立て役として機能していた。カトリック主義の中にあった危機が、一部の人々にとって、ルターの宗教的抗議を説得力のあるものにしたのである。

 22.ルターは誠実な宗教的人物であり、良心的な祈りの人であったと新たに考えられるようになった。念入りで詳細な歴史研究は、近代に至るまでそれまでの4世紀にわたるカトリック側のルター研究文献は、当時のルターの論敵であり、ザクセン公ゲオルクの顧問、ヨハネス・コッホラエウスの注解書に著しい影響を受けて形成されてきていたことを証明した。コッホラエウスは、背教の修道士、キリスト教世界の破壊者、道義の汚染者、異端者として描いていた。批判的ではあるが、共感的でもあるルターの人格とのこうした最初の取り組みの成果は、ルターに関するこうした論争文献の一面的な取り組みからカトリック側の研究を解放することであった。その他のカトリック神学者たちの冷静な分析は、教会分裂に通じていったのは、義認論のような宗教改革の中心的関心事ではなく、むしろ、こうした関心事から生じていたその時代の教会の内情に対するルターの批判であったことを示した。
 23.カトリックのルター研究の次の段階は、二つの教派の代表的神学者、トマス・アクィナスとマルティンルターよって推進された違った神学的思想構造や思想体系に埋め込まれていた類似した内容の明らかにすることであった。この研究は、神学者たちがルターの神学の枠組みの内部でルターの神学を理解するのを可能にした。同時に、カトリックの研究は、アウグスブルク信仰告白の内部で義認論の意味を考察した。ここでは、ルターの改革的関心事が、ルター派の諸信仰告白文書の構成という広い背景の内部に置かれることができるようになり、その結果、アウグスブルク信仰告白の意図は、根本的な改革的関心事を表明しているだけでなく、教会の一致を保とうとしていると見ることができるようになった。

見解の一致を目指す道を準備したエキュメニカルな企図

 24.こうした努力は、アウグスブルク信仰告白の提示450周年記念の際と、アウグスブルク信仰告白にカトリック側が一定の評価を示した際に、ドイツでルター派の神学者たちとカトリック側の神学者たちが1980年に始めたエキュメニカルな企図に直接繋がっていった。カトリックのルター研究のこうした企図にルーツがある、プロテスタントとカトリックの神学者たちのその後のワーキンググループの広範な成果は、『宗教改革時代の断罪、それは今でも分裂要因か』に結実した。

 25.1999年にルーテル世界連盟とローマ・カトリック教会の両者によって署名された『義認の教理に関する共同宣言』は、こうした基礎作業と米国での対話文書『信仰による義認』にその基礎があり、ルーテル教会とカトリック教会の間に義認論の基本的命題で見解の一致があることを肯定した。

カトリック側での進展

 26.第二バチカン公会議は、それに先立つ数十年の間に起こった聖書研究、典礼研究、教父研究の復興に呼応して、宗教的自由の承認という主題を含め、教会の営みにおける聖書に対する尊重と敬意、全授洗者の共通の司祭制の再発見、教会の継続的純化と改革の必要性、奉仕としての教会の職務の理解、人間の自由と責任の重要性といった主題に取り組んだ。

 27.公会議は、ローマ・カトリック教会の外でも、聖化と真理の諸要素があることも承認した。公会議は、「共に教会そのものを打ち立て、それに命を与えるいくらかの、いや非常に多くの要素と天分とがカトリック教会の目に見える境界線の外側にも存在しうる」と断定し、こうした要素として「書かれた神の言葉、恵みの生活、聖霊のそれ以外の賜物と目に見える要素も伴った信仰、希望、愛」を挙げた(UR 3)。公会議は、別れた「兄弟たち」が使っている「キリスト教の数多くの典礼上の行為」という言い方もし、「こうした諸要素は、それぞれの教会や共同体が状況によって違っている仕方で確実に真の恵みの生活を生み出すことができる。こうした典礼上の行為は、救いの共同体へと至る道に通じていると見なされねばならない」(UR 3)と語った。この承認は、こうした共同体の個々の用紙や行為に向けられていただけでなく、「別れている諸教会や共同体」自体にも向けられていた。

 

次号に続く

 

 

 

 

 

 

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