topimage
トップページ ルーテル教会とは 全国の教会 関連事業 るうてる法人会 諸活動・運動体

 

JELCニュースブログ
バイブルエッセイ
機関紙るうてる
JLERルーテル救援
アーカイブ
聖書日課
教会讃美歌
TNG次世代育成
お問い合わせ
サイトマップ

 

バックナンバー:
2012年版2013年版2014年版2015年版2016年版 / 2017年版2018年版2019年版
2020年版

バイブルエッセイ

2020.04

「聖鐘に導かれて」

202004「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」(詩編119・)

 まことに小さく曖昧な国に、再び確かな主の御復活が告げられようとしている。イエス・キリストの十字架の出来事により人類は贖われるのだ。まことにありがたい。
 我が国の復活祭はおおよそ、春、桜の頃となる。卒業や進学、就職や引退など人生節目の時、何かワクワクする季節…。新しい教科書を手に、どんな師や友と出会うのか、期待と不安の中にいた記憶が甦ってくる。
 中学2年の美術の授業で老先生が1枚の絵を掲げ、「ある部分が無かったら絵の命が失われるが、それは何か?」と質問された。…数人が答える、が正解は出ない。初対面の絵に私の思考は止まったまま⁈ すると先生が「こ・れ・」と夕暮れの地平線の小さな影を指で隠した。…「教会堂」だった。
 やがてその絵が、平原を鳴り渡る鐘の音を合図に、農民が手を休め夕べの祈りを捧げる様子を描いたミレー作「晩鐘」だと知る。へー、そんな人たちがいるんだ、そんな国があるんだ…と不思議に思った。…暗闇に住む私の中に福音の光が指し込み、希望の種が蒔かれた瞬間だ。

 30歳を過ぎた頃、友の自死に遭遇、人生を憂い、市川教会に出会う。T先生は私の話に熱心に耳を傾け、夜の聖研集会へ導いて下さった。ありがたかった。…やがて主日礼拝にも列席し、洗礼を賜ることになる。
 教会には確かに「あの鐘」が備わっていた。礼拝前と聖餐(省く場合は主の祈り)の際に鳴らされる。時折、鐘打ちを託され、緊張しながら奉仕したことを忘れない。
 「日本福音ルーテル教会宣教百年」の折、合志教会リニューアルに際し、大町教会に移築されていた日本宣教第1号教会堂(旧佐賀教会)の骨組みを再継承し、「創立記念会堂」を称することになった。が鐘楼に鐘がない。…すると、かつてフィンランド留学されたM先生の御尽力であろうか、シベリウスの国から新調の鐘が届く。鐘には詩編の一節が刻印されていた。
『VEISATKAA HERRALLE UUSI VIRSI(ハレルヤ、新しい歌を主に向かって歌え、詩149・1)』。
 西条教会には、1962年にジョン・F・ケネディー米国大統領から贈られた「愛の鐘」が備えられていた。由来はこうだ。ジョージ・オルソン宣教師を通じ、西条教会に鐘がないことを知った米国の14歳の少年が、「大統領に頼もう」とホワイトハウスに手紙を出した。「兄弟愛の証しとして贈りたい…」という少年の思いに心を動かされた大統領は、退役駆逐艦の鐘を届けさせたという。それから半世紀、2013年、大統領の長女、キャロライン・ケネディー駐日米国大使が教会を訪れ、亡き父所縁の鐘と対面された。教会・幼稚園の礼拝等で用いられ、日米友好と兄弟愛を証する鐘が西条盆地に鳴り響いている。

 聖書の時代、「鐘」はなかった。わずかに「どら」(1コリ13・1)がみえる。教会に鐘を導入したのはノーラの聖パウリノ主教(354〜431)だと言われる。6世紀、鐘はイタリアからフランスに広まり、ローマ教皇サビニアヌス(在位604〜606)が定時の礼拝や聖餐開始を告知するのに聖鐘の使用を公認したという。
 初期の鐘は手ぶりで鳴らす小さなもの(nola)、大きな鐘(campana)が造られるようになるのは11~12世紀、現代のような鐘が普及するのは15世紀以降のことである。
 中世の「聖なる天蓋」が解き放たれ、その後、教会は「世俗化」の中を漂っている。宗教に、理性や科学が対峙する社会が広がってきている…。
 しかし教会は、永く継承してきた伝統から安易に離れることには慎重でありたい。「聖鐘」をはじめ「所作(十字を切る等)」、「香」などの事柄は、神学的検証と共に、再考してゆくべき事柄ではないだろうか。
 教会はイエス様の十字架の愛の出来事を、あまねく世界に宣べ伝える使命を委ねられ、2千年に渡り、担い、果たしてきた。その結果、今、私たちはここに立っている。
 最後の一歩に躊躇する兄弟よ、信仰の道に迷う姉妹よ…、恐れるな!主の御言葉が私たちの歩みを照らし、やがてすべてを引き受けて下さるから。光の子よ、共に歩もう。(S.D.G.)

日本福音ルーテル教会牧師 鈴木英夫

 

2020.03

「キリストを知る」

2020.03 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(フィリピの信徒への手紙 3・7~11)

 「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。(口語訳)」(ヨハネ8・32)というキリストの言葉をご記憶の方も多いと思います。若い頃何よりも自由を渇望していた私はひたすらこの言葉に感激していたわけですが、やがて社会の現実を生きることの中で「自由への道」を諦めかけた時、今思えば神様の導きであったと言うしかないのですが、神学校へ進む道が開かれたのです。
 神学校に来てみると、そこで頻出する「罪と罰」、「契約」「律法」等の神学用語は、法学部出身の私にはほぼ馴染み深かったのですが、ただ聖書の示す「真理」概念は、それまでの自分の「真理」理解とは大きく異なるものでした。

 現代に生きる私達は、ほとんど無意識の内に、西洋近代において発達した科学的「客観性」を「真理」の基準であると考えています。そこでは宗教論など人間の主観性を帯びる議論などは、どこか胡散臭いと思われがちです。ところが、聖書の「真理」概念は、古代旧約聖書ヘブライ語の語感の影響のため、極めて宗教的、倫理的色彩の濃い「人格的」概念であると言われているのです。

 ヨハネによる福音書1・14の「・・・恵みと真理とに満ちていた。」は口語訳では「・・・めぐみとまこととに満ちていた。」と「真理」を「まこと」と訳しています。日本語の「まこと」は「真理」の意味に加えて「誠」という人格的、倫理的な意味を含んでいてヘブライ語の語感と同じです。この方が聖書の「真理」の本来の意味内容に相応しい訳だと思うのです。

 同様に注目したいのが「わたしは道であり、真理であり、命である。(ヨハネ14・6)」というキリストの言葉です。ここに出てくる「道」と「真理」と「命」は言うまでもなく、別々の三つの概念ではなく、一体のものとして捉えられなければなりません。キリストは、明確に「わたしは道であり、かつ同時に真理、かつ同時に命である。」と言われているからです。この「道と同時に真理、同時に命である」キリストをどう理解すれば良いのでしょうか。

 聖書は、ここからもう一段「人格的概念」から更に「世界的」な広がりをもったかたちのキリスト論を展開しています。それがパウロの「(キリストの)体」の思想です。

 パウロは生前のキリストを知りませんでしたが「復活のキリストの体」の神学によってキリストを論じます。今日の私達が信徒の交わりや個々の教会間のつながりを、一つの「キリストの体」として捉えることができるのは、この思想によるのです。

 更にパウロは1コリント15・40で「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。(口語訳)」として、この「キリストの体」は宇宙論的な世界と広がりをもつことを述べています。このことは、現代の地球環境問題を「キリストの体」の立場から考察することを私達に促しているように思うのです。

 ところで、復活のキリストの体にはなぜ傷があるのでしょうか?それは第一にはキリストの十字架と復活を不可分の事柄として結びつける「しるし」であるわけですが、同時に、私たちの個々の現実の弱さや痛みや傷の存在が、実は「キリストを知る」ことへの「道」として備えられているのだということを示されるためではないでしょうか。パウロが自分の肉体の棘を取り去って欲しいと願った時、主は、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる。(口語訳)」(2コリント12・9) と言われたのも、やはりパウロの傷は、実は彼の傷がキリストを知るための「恵みの道」であることを示されるためだったのだと思うのです。

 今、私たちの生きる世界環境は大きく傷ついていますが、それが「傷ある復活のキリストの体」であるなら、私達は、もはや自分自身の弱さや傷を嘆くのではなく、この世界に参与することを通して、更に「キリストを知る」ことを求める者でありたいと思うのです。

日本福音ルーテル羽村教会牧師 高井保雄

 

2020.02

藁の書に学ぶ」

202002「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」(ヤコブの手紙 1・22)

 本郷教会出身のわたしは、米国のルーテル神学校と三鷹のルーテル神学校で学んだ後、別府教会、板橋教会で牧会しました。そのころ、ルーテル教会の伝道不振に不満を感じ、「さあ出ていこう」の合言葉のように教会を出て、幼い子どもたち4人を養いながら単独で開拓伝道を行いました。困難ではありましたが、これは自分には良い経験でした。しかし、思うところあって、ルーテル教会に復帰し、これまで八王子教会で13年間牧会をさせていただきました。いままで、「るうてる」に寄稿したことはありませんが、今回は、定年退職前の最後の機会を用いさせていただいて、支えてくださった方への感謝も込めて、伝道という視点から、聖書に耳を傾けたいと思います。

 さて、ヤコブ書はルターが「藁の書」として正典から排除しようとしたことでも知られています。ただ八王子教会での聖書研究で学んでみて別の面も感じさせられました。この書で、ヤコブは聞くだけの者になってはいけないと注意しています。しかし、信仰はむしろ聞くことから始まるのではないでしょうか。イエス様がマリアとマルタの家を訪問した際も、忙しく立ち働くマルタとは対照的に、じっとイエス様の話を聞いていたマリアにたいして、イエス様は「マリアは良い方を選んだ」(ルカ10・42)、と言われました。この謎を解くのは、「聞く」と訳されているギリシア語の違いでしょう。ヤコブが禁じているのはギリシア語のアクロアテス(聞く)という言葉であり、これは講堂や法廷などで聴衆がとる態度のことです。一方、マリアが「聞いた」のにはアクオーという言葉が用いられ、「聞き従う」という意味があります。み言葉に胸を刺され、罪を悔い改め、イエス・キリストに従うように導かれるのが、「聞き従う」ということです。例えば、教会や家庭での人間関係に問題が起こった場合でも、「汝の敵を愛せよ」というイエス様の教えに聞き従い、互いに赦しあっていけば、神は解決を与えて下さると思います。

 イエス様の教えの中でも、聞くことと、それに伴う服従という行動は切り離されないものです。「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7・24)ですから、ある聖書学者は、「真の信仰は、行いなしに存在することができない」、と述べています。ヤコブが禁じているのは、前述したように、聴衆のような態度でみ言葉に接することなのです。また、こう書いている学者もいます。「ルター自身は、もし別の時代に生きていたならば、ヤコブが語るメッセージをもっと強調したのではないかと思われる。」
 現在のルーテル教会はしっかりした教理を持ってはいますが、伝道に関しては教会行政の決定を優先し、聖書は会議の冒頭に儀式的に読まれるだけにすぎません。わたしたちの伝道が聖書から敷衍されていません。広島会館建設問題に関しての臨時総会が開かれた時にも、それを感じました。神学校の教授さえも経済の安定を第一に主張していました。こうした伝道方策は聖書の教えと矛盾はしないのでしょうか。

 また、わたしたち日本人を見ると、日本的信仰は、あくまで「信心」であって、信仰は自分の心の問題に集中します。み言葉に従うという信仰の応答が出てこないのです。ですから「聞き方」に問題があるとヤコブが指摘するのは当然です。それはイエス様の教えと共通するものです。イエス様の教えと行動は、形骸化されて神の愛を失った儀式的宗教にプロテストするものでした。

 このヤコブ書が、正典に残されたことは感謝です。わたしたちの信仰とその応答である伝道も、聖霊の働きなしには実践できません。ですから、生涯、悔い改め、求め続けたいものです。今は既に天に召された恩師の宣教師ハイランド先生に、「幸せなクリスチャン生活の秘訣」を尋ねた時「中川さん、それは日々の悔い改めです」、と教えてくださいました。

日本福音ルーテル八王子教会牧師 中川俊介

 

2020.01

揺らぎつつ信じる信仰」

202001「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」(マタイによる福音書 28・16~20) 「

 マタイ福音書巻末の宣教命令へと続く段落の中で、《主イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた》と書かれている事に、昔から興味をひかれて来ました。ここに集っている者は、裏切ったユダを除いて、十一人の主だった弟子たちです。その誰が、「疑う者」なのか、最初の関心は、その様なものだった気がします。ところが、神学校に入り、ギリシャ語の勉強をし、改めてこの部分を自分なりに読み直してみると、どうしても、「彼らはひれ伏して礼拝したが、同時に疑ってもいた」になってしまうのです。

 これはどういう意味だろう?と考えているうちに、ふと、「疑う」という訳は、本当にそれで良いのか、という疑問が生まれてきました。調べてみると、まず、この単語は、新約聖書では、2カ所にしか出てこない事が分かりました。そしてそのもう1カ所も、マタイ福音書の中なのです。この単語は、やがて、2世紀の使徒教父時代には、盛んに使われる様になり、明らかに、「疑う」という意味を持ってきます。しかし、旧約聖書のギリシャ語訳(七十人訳)では、この語はむしろ「躊躇う」という意味で用いられています。この七十人訳聖書では、「疑う」の訳には、また別の語が使われており、はっきり区別されているのです。また、古典ギリシャ語の用例で見てみると、原義は「2つの世界に立ち、決めかねている心の状態」なのですが、発展して、優柔不断、揺れ動く心、ためらう、などと訳されています。つまり、「疑う」とはっきり訳せるような例は、紀元1世紀までは皆無です。それで、1世紀末に使用されたマタイ福音書のこの二つの箇所についても単純に「疑う」と訳すわけには行かなくなります。

 以上、弟子たち全部が「疑っていた」かもしれない、また、この「疑う」という訳は本当にそれで良いのだろうか、という二つの視点が出てきました。これらを考慮に入れ、改めてこの16節を、私なりに解釈し直してみると、「弟子たちは主イエスを見て、ひれ伏し礼拝した。しかし、同時に彼らは、揺れ動いていた」となるでしょう。弟子たちは、信仰の世界へと入ろうとしつつ、まだこの現実世界に重心を残しているのです。中途半端な信仰だった、とも言えますが、主イエスは、その彼らを宣教へと派遣して行くのです。彼らが持っている現世への拘り、その部分は弱さでもあるのですが、同時に、そこがなければ宣教も空しいとさえ言える程、重要な何かでもあるのです。
 そもそも、信仰というものは、神の与えたもうもの、という視点も、ここで重要になります。強固な信仰も、ぐらついた信仰も、神が与えてくださった信仰という意味では、優劣ないという事です。私たちの周囲に居る人々を考えてみても、強い人も居れば弱い人も居ます。そういう多種多様な人間たちに語りかける教会は、それなりの柔軟性、多様性を持っていなければならないのです。

 そこで主イエスは、揺れ動く弟子たちに一つの方向性を与えられます。すなわち、天と地一切の権威を持って、《あなたがたは行って、すべての民を弟子としなさい》と言われるのです。《父と子と聖霊の名によって洗礼を授け》《命じておいたことをすべて守るように教えなさい》と命ぜられた時、《信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する》というヘブライ人への手紙11章の冒頭の言葉が実現します。ここでの「見えない事実」、それは主イエスの与えられる、天地一切の権威、また、主イエスは《世の終わりまでいつも共にいる》という事柄をもって、望みつつ確信する信仰、揺らぎつつも信じる信仰へと彼らを導いてくれているのです。その信仰が「躊躇い」を含むものであるからこそ、それは、長い歴史を隔てた私たちの心にも共鳴し、波紋を広げ、やがて、望み、確認し、そして救いに至らせる力を持つのです。
  
 新年にあたり、各教会では、今年の宣教方針を考え、練っている事と思われます。その際、主イエスは、揺らぎつつ信じる弟子たちを選び、あの宣教命令を下された、その事実をも覚えていてほしいと思います。そして、弱い私たちにこそ、その命令が受け継がれている事を信じつつ、現在の各教会をめぐる、厳しい状況へと、また一歩踏み出していければ、と思うのです。

 日本福音ルーテル小岩教会牧師 松田繁雄

 

 

 

 

 

 

| トップページルーテル教会とは全国の教会関連事業るうてる法人会諸活動・運動体ENGLISH
日本福音ルーテル教会 〒162-0842東京都新宿区市谷砂土原町1-1Tel.03-3260-8631  Japan Evangelical Lutheran Church (C) All Rights Reserved
English