ルーテル教会は世界最大のプロテスタント教会であり、伝統的なキリスト教会です。式文(リタジー)を用いて礼拝を行います。

バイブルエッセイ

バイブルエッセイ一覧

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「讃美の声を高らかに」

12.01.31

数年前の式文の学びの際、講師の方が「式文を用いる礼拝だと、毎回毎回同じことの繰り返しのようにお感じになるかもしれません。しかし、二つとして同じ礼拝はありません。なぜなら、その時、その空間、その礼拝に集められた一人ひとりと、そこで働く神さまの聖霊はそこだけのものだからです。つまりライブです。 派遣の部で私たちは、シメオンの賛歌を共に歌い、またそれぞれの日常に神さまから遣わされてゆきます。もしかしたら、この礼拝が最後になる方もおられるかもしれません。

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喜びと純粋な心をもって、共に

11.12.30


使徒言行録2章44−47節には、草創期のキリスト教会の姿(キリスト教共同体の姿)が記されています。「信じた者たちはみな同じ場所に居て、一切を共有していた。また財産や所有物を売って、必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた。また思いを一つにして毎日神殿に居つづけ、また家ではパンを割き、喜びと純粋な心をもって食事を共にし、神を讃美し、民のすべての者たちに好まれていた。主は救われる者を日々一緒に加えて下さった」(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社)。
 ここに記されていることが、どこまで史実であるのかは分かりません

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「今わたしは主の救いを」

11.12.06

広島県にはエリザベト音楽大学という学校があります。この「エリザベト」は、聖書に出てくる女性のエリサベトに由来しています。すなわち、ルカ福音書の初めにある降誕物語で、洗礼者ヨハネの母となった女性、そして主イエスの母であるマリアと縁戚関係にあった女性がエリサベトでした。
アドベント・クリスマスの季節、必ずと言ってよいほど読まれるルカの降誕物語ですが、その全体、つまり1章の初めから2章の終わりまでを通読してみるのもお勧めかもしれません。

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「勝利者キリスト」

11.11.07


全聖徒の日は、それぞれの信徒がその所属している教会において、すでに天に帰られた信仰の先輩方を憶え、その先輩方と共に礼拝を守る日とされています。わたしたちは、「聖徒」という言葉を、どのように理解しているでしょうか。礼拝を守り、主の御言葉に聴き従って、いつもよく祈る信徒のことを聖徒というのでしょうか。それとも、困難に直面しても、いやな顔をせずに喜んで奉仕する人のことを聖徒というのでしょうか。

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「私たちの戻るべき教え」

11.10.24

十月はルーテル教会にとっては、宗教改革を覚える月です。「宗教改革」という呼び方に慣れ親しんでいる私たちですが、なぜ「宗教改革」と呼ぶのか、その理由は曖昧です。
 英語ではリフォメーション(reformation)ですが、リ(re)には、「再び」とか、「新たに」ということに加えて、「...し直す」、あるいは「...し戻す」という意味があります。ここから察すれば、宗教改革とは、今の姿を省み、本来あるべき姿へと戻るための改革ということになるでしょう。

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「雑草のしぶとさ」

11.09.01

「クロガラシは、イスラエルではかなりの高さにまで成長するアブラナ科の一年草で二メートルくらいはある」廣部千恵子著『新聖書植物図鑑』からの引用です。聖書に出てくる「からし種」が、どんな植物の種かということには、議論もあるようですが、それが、一年草であり、栽培種というよりも、むしろ雑草に近いものであったことは確かのようです

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「何も備えない備え」

11.08.07

《旅の支度》
皆さんは旅に出る時、どのように支度をされますか。私はよく山登りに行きましたが、何を持って行くか直前まで迷いました。登りたい山を想って山行計画を立て、どの季節がいいか選び、いよいよ実行に移します。命を託すかも知れない道具は、夏山から冬山までいろいろ持っていました。

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「聖霊と悪霊」

11.06.28

「人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠の罪の責めを負う」マルコによる福音書3章28節〜29節


イエス様は、聖霊を誤解することは赦されないと言われました。パウロもコリントの信徒への手紙一10章で、聖霊と悪霊を区別できないなら人は悪霊に仕えると述べました。またマルチン・ルターも聖霊と悪霊は同じところで同じように働くと言い注意を与えました。マルチン・ルターが聖霊と悪霊は同じところで同じように働くと語ったその場所は3つあります。1つ目は、罪において。2つ目は、死において。3つ目は、地獄・黄泉においてです。ではその違いを学びましょう。

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「不安のきわみで歩き出す」

11.06.01

 渡邉純幸議長、松木傑牧師、LWF特別アドバイザーのマタイさんと共に、4月18日から21日かけて車で東日本大震災の被災地である仙台、石巻、気仙沼、陸前高田を訪ねました。津波ですべての建物が全壊した地域に入った時は、何度も途中、車を降り、道路の真中に立ち、お互いに声も交わすことが出来ずに身の震えを内に感じました。
 このような災害は「天罰」ではないかという不穏な言葉を吐いてしまった人もいましたが、今回の未曾有の大地震をどのように理解してよいのかという戸惑いを多くの人が持っているのではないでしょうか。

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「あの方は復活なさったのだ」

11.04.23


ルカによる福音書23章26節〜24章11節
春先、あるご高齢の方が召天されました。葬儀の際、ご家族が介護をしていた時の様子が思い返されました。「お父さん」と声をかけ、顔をさすり、手を握る。その時と同じように、丁寧に葬りをされる様子を見た時、悲しみに秘められた「新しき命」の萌芽を見るような思いでした。十字架と復活の間に、イエスを愛していた人々は何をしていたのでしょうか。詩人ウェンデル・ベリーは、イエスの死を嘆き、葬りの準備をする「婦人たち」に復活への道筋を見ています。

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