ルーテル教会は世界最大のプロテスタント教会であり、伝統的なキリスト教会です。式文(リタジー)を用いて礼拝を行います。

バイブルエッセイ

喜びと純粋な心をもって、共に


使徒言行録2章44−47節には、草創期のキリスト教会の姿(キリスト教共同体の姿)が記されています。「信じた者たちはみな同じ場所に居て、一切を共有していた。また財産や所有物を売って、必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた。また思いを一つにして毎日神殿に居つづけ、また家ではパンを割き、喜びと純粋な心をもって食事を共にし、神を讃美し、民のすべての者たちに好まれていた。主は救われる者を日々一緒に加えて下さった」(田川健三訳著『新約聖書 訳と註 2下 使徒行伝』作品社)。
 ここに記されていることが、どこまで史実であるのかは分かりません。なかでも、キリスト教会の人たちが、「民のすべての者たちに好まれていた」ということは事実ではなかったでしょう。というのも、キリスト教会の人たちは、「民」によって十字架の刑に処されたばかりのイエスをメシアとして信じる人たち、だったからです。ここに描かれているのは、使徒言行録の著者ルカが、四十数年前の草創期のキリスト教会を想像しつつ描いた「理想化」した姿なのでしょう。
 しかし、ここに描かれている教会の姿がたとえ仮説的なものだとしても、「民のすべての者たちに好まれる」教会とはそのような教会である、ということに私たちは同意することができるのではないでしょうか。
 さて、草創期のキリスト教会のメンバーがどのような人たちであったのか、ルカは記していません。ここでは、そこに集う人たちが、どのような社会における境遇の人であるか、階級上の地位や社会的身分がどのような人であるか、その人がどれだけ生まれつきの資産や能力を備え、知性、体力を有しているか、そのようなことが注意深く取り除かれています。そしてその上で、ルカは、全員が神の前に同じ状況に置かれているということを、「一切を共有していた」という一言で表そうとしたのではないでしょうか。どんな人も生まれのめぐり合わせや社会的な情況のよしあしによって当人の有利・不利が左右されない、それによって当人の優劣は決まらない状態、それを「(人々が)一切を共有していた」状態である、と。また、「(人々が)一切を共有していた」ということは、人々は「一切を共有すること」に合意していた、ということす。つまり、全員が神の前に公平である、そのことに合意した人たちによってキリスト教会は出発している、とルカは描くのです。
 そして、全員が神の前に公平であるという状態に合意した共同体であるがゆえに、人々は、それぞれの能力は個人のものではなく、共同体の共有財産であると考えたのでしょう。だから人々は、それぞれの能力によって得た「財産や所有物」を、「必要とする者がいれば、それを誰にでも分けた」のです。ここには、分け与える者と施しを受ける者、強者と弱者という境目がありません。このような共同体だからこそ、「民のすべての者たちに好まれていた」のです。このことに、私たちも、ルカとともに同意したいと思います。そして、その同意から現実の問題に向き合っていきたい、と。
 ところで、ジャン・バニエは「あなたは輝いている」(一麦出版社)という著書の中で、次のように言っています。『ルネ・ルノワールは、彼の著書「除外されたもの(The Outsiders)」の中で、カナダの先住民の若者のことを書いています。20人の子どものグループに対して、質問に最初に答えられた子に賞品をあげると約束して「フランスの首都はどこですか?」と聞きました。子どもたちはみんなで話し合ってから、声をそろえて「パリ!」と叫んだのです。なぜそんなことをしたのでしょうか。その理由は、賞品をもらえるのは20分の1の確率で、一人しかもらえないからです。そして誰か一人が賞品をもらえば、その人はもうコミュニティの一員ではなくなってしまうのが分かっていたからです。勝った人は他の人より上位に立ってしまうのです。私たちが生活する豊かな社会では、多くの人が賞を得る代わりにコミュニティや連帯の意識を失っています。より貧しい国では賞を得ることはありませんが、連帯感を保っていられます』。
 私たちの日本福音ルーテル教会が、「喜びと純粋な心をもって」、よりいっそう連帯感を深めていくことができますように。そして主が・・・。


日本福音ルーテル門司教会・八幡教会  岩切雄太

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