09.12.28
春、ただいま準備中!
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ/花を咲かせ/大いに喜んで、声を上げよ。/砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。/人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』イザヤ書35章1~2節
俳句の季語に、「日脚伸ぶ」という言葉があります。冬至を過ぎた頃から少しずつ日が長くなる、それをふと実感できる頃のことを、このように呼ぶのだそうです。
雪の多い北国に住み始めてから、この冬から春にかけての「日脚」の伸びを、本州に住んでいた頃と比べて、より深く感じられるようになりました。
たとえば、元旦の空の明るい日差し。本州に住んでいた幼いころから、元旦の空の色はなんだかいつもと違っているように感じていました。年が改まって、気持ちも新しくなったせいかな、とも思っていましたが、やはりそれだけではなく、明らかに冬至の頃と比べて光の量そのものが変わっているのだということが、北国にいると実感としてわかります。
たとえば、雪かき。雪が積もった早朝、玄関の前の雪を大きなスコップでかいて道を作ります。どんなにスコップで地面をがりがり削ったとしても、日が短い時期はどうしても道の表面に白い氷の層が残ります(これがまた、滑って危ないのです)。けれども、2月を過ぎたあたりから次第に、その残った氷もすぐに溶けてしまうようになり、ついには雪かきをしてもその氷の層は残らなくなる。長くなってきた太陽の光が大地に蓄えられて、日ごとに路温が高まっていくからでしょう。
雪はうず高く積もっているし、気温だってまだまだ氷点下です。肌を刺すような風の厳しさも、変わらないように思えます。しかし私たちが気付かないところで、私たちをとりまく天地は、春に向かって確かに歩みを始めている。終わりが見えないように思える厳しい寒さの中で、それでも見えない地面の下では、春の準備が確かに進められている。寒さが最も厳しいとされる大寒の頃、それでも日ごとに伸びる日脚に「そうか、今は春の準備中か。だったらもう少しだけ、がんばってみてもいいかな」と慰められ、励まされます。
いのちの冬だと思えるような、厳しい現実に置かれるときがあります。すべてが雪に閉ざされてしまったように思えて、出口が見えなくなってしまうときがあります。それでも私たちを支える大地に、確かに春はすでに来ている。私たちがあずかり知らないところで、ひっそり、けれども確実に、春の歩みは進められている。ほら、あなたが気付かないうちに、あなたの足元で、いのちの春はもうすでに、準備を始めてくれていますよ。
Aki