ルーテル教会は世界最大のプロテスタント教会であり、伝統的なキリスト教会です。式文(リタジー)を用いて礼拝を行います。

バイブルエッセイ

いらかの波と雲の波...

わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。
コリントの信徒への手紙一 2章12節a(日本聖書協会『聖書 新共同訳』)

 その重なる波の中空を泳ぐのが「鯉のぼり」です。梅雨空ならまだしも、風薫る5月、それこそ「五月晴れ」の青空になぜ魚が、と子ども心に思いました......。
 旧暦の5月、「皐月」だったのですね。皐月はまさに梅雨の季節。そういえば、松尾芭蕉の「五月雨をあつめて早し最上川」も梅雨時のことゆえ納得です。雨の季節であれば、「鯉の滝昇り」も、鯉のぼりも絶妙な組み合わせということになるのでしょうか。
 「東京は雪」と伝えられた3月初旬、乾季に入ったばかりのインドはデカン高原、その西端で「熱風」にさらされていました。日中、炎天下での気温は30度を越えていたことでしょう。しかし、木陰や建物の陰に入ると、そこはひんやり。吹く風も、薫風というか、涼風というか、とにかく心地よく、さわやかなのです。全身から汗と疲れを拭い取るように、吹き抜けていきます。おもわず「ゴクラク、ゴクラク......」。
 「薫風」という、さわやかな初夏、青葉の季節を連想させる言葉の出典は漢詩だそうです。そこには、皇帝と部下のこんなやりとりがあります。皇帝が「人は皆、炎熱に苦しんでいるが、私は夏の日の長いことを愛する」と言うと、すかさず、部下が「薫風は南より来たる(薫風自南来)、殿閣に微涼の生ず」と答えたのだそうです。熱風を「薫風」と言い替えたところが味噌なのでしょうか。
 いずれにしろ、インドの炎熱の薫風? に打たれ、熱中症寸前、へろへろ、くたくたになった人間が、木陰に身を寄せ、建物の陰の地べたに身を伏せる時、生き返るのです。日本では吹かないであろう乾ききった風。それは時に熱風にもなりますが、木陰の爽快感は、日本では味わえないものでした。薫風に感激、感動、感謝。風は不思議ですね......。
 イエス様も「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」と言われました。ご自分のことを「風」にたとえられたのです。目には見えず、音がするだけの風。
 飼い葉桶に生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ死なれたイエス様は目を見張るような存在ではありませんでした。
 イエス様は続けて言われます。「霊から生まれた者も皆その通りである」と。わたしたちも、神様からの霊をいただいて、「風」のように生きるのです。目には見えなくても、爽やかに、力強く。
 5月31日、その神様からの霊、聖霊が与えられたことを記念し、お祝いします。
 「霊よ、四方から吹き来たれ。......そうすれば、彼らは生きかえる」(エゼキエル書37章9節より)。

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