ルーテル教会は世界最大のプロテスタント教会であり、伝統的なキリスト教会です。式文(リタジー)を用いて礼拝を行います。

バイブルエッセイ

瞳を閉じて

主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください。
日本聖書協会『聖書 新共同訳』ルカによる福音書11章1節

 「ああ、今日は胃袋がどこにあるのか、わからない!」
 彼女は、うれしそうに言いました。
 彼女は妻の友人。ある日、うちに泊まりに来てくれたときのことでした。せっかく来てくれたのに、彼女はおなかが痛くなって夕飯も一緒にできません。でも、夜ゆっくり休んだおかげで、朝には元気回復。さわやかな顔で起きて来た彼女が言ったセリフが、それでした。
 面白い表現だなぁ、と思いました。確かに痛くもかゆくもない時、自分のからだの中の様子は気になりません。もちろん、どのへんに胃袋があるのかもわかりません。痛み出した時に、ああ、確かにここに胃袋がある、とわかります。病気になって初めて健康のありがたみがわかる、ということと通じるでしょう。

 同じことは、あいつについても言えるかもしれません。
 あいつは内臓器官と違って、そもそも本当に見えません。でも、あいつが痛む時があります。大切な人が苦しんでいるのを見たとき、あいつは痛みます。その時、あいつがあることがわかります。あいつのことを、心と呼ぶこともあり、感情と呼ぶこともあり、気持ちや思いと呼ぶこともあり、魂と呼ぶこともあります。
 きれいなお花を見て、感動できる人を、心が豊かな人なんて言うことがあります。そして、逆の場合を、心貧しい人とか、心ないことをした、などと言います。
 この目では見えないあいつを、確かにそこにある、とわたしたちは自然と見て取っているのですね。この、目には見えないあいつを豊かに育てることができることも、わたしたちは知っています。子どもたちが、しっかり食べて、しっかり運動して、しっかり睡眠をとると、からだが成長していくように、あいつは成長することができます。
 いや、成長という言葉は合わないかもしれません。あいつが安らいだり、落ち着いたりするために、できることがあると言ったほうがいいでしょう。あいつは、からだが栄養を取るように、「わたしにも栄養補給や深呼吸の時間をください」と耳では聞こえない声でよく叫んでいるようです。
 その栄養補給や深呼吸の方法を、ひとつここで紹介しておきます。
 目には見えないあいつに安らぎを与えるためには、やっぱり目を閉じることです。目を閉じてみた時、あいつは、「ようこそ」とわたしたちを迎えてくれます。そして、わたしたちがあいつに安らぎを与えているつもりが、わたしたちがあいつから安らぎを受けるという逆転劇がそこで起こります。
 あいつは、目を閉じたわたしたちを、まだ見ぬ明日を思うことや、ここにはいないあの人のことを静かに思い起こすことや、そして、生きる意味なんていうものまで考えさせてくれながら、再びわたしたちをこの世の見える世界に送り出します。
 その時、世界は少し違って見えます。目をつむって、あいつに、大切なものを見せてもらったおかげで......。栄養を与え、深呼吸させたつもりが、あいつによってわたしが深呼吸させてもらうことになるのです。あいつの魔法です。
 たぶんあいつは、目には見えない神さまへの直通電話を持っていると、わたしは踏んでいます。
パパレンジャー

ページトップへ